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2017.04.03
硬式野球

[硬式野球]春季リーグ開幕直前8日連続インタビュー 第8日 硬式野球部OB・松沼博久さん


西武ライオンズに在籍し、現在はプロ野球解説者としてご活躍されている松沼さん


3月11日にオール東洋スポーツマンクラブ総会が行われ、硬式野球部OBの松沼博久さん(S50済卒)が講演で今までの野球人生を語りました。プロ野球の開幕が近く、多忙の中で講演後にインタビューさせていただきました。(取材日=3月11日、聞き手=青池藤吾)


――野球を始めたきっかけを教えてください

 親父にグローブを渡されたことが最初ですね。

――東洋大学に進学した理由は

 一番の理由は神宮球場で野球がしたかったから。神宮で野球をするとしたら、六大学か東都の二つ。ちょうど先輩がいらっしゃったので、それが決め手になった。入学する前の秋のリーグ戦でとても良い成績を残していたので強いチームだと思っていました。入学してからは、一年目は靴を磨いたり食事を作ったり掃除したりと、野球をやっていた記憶がほとんどないです。一年間我慢して、高橋監督が就任したことが僕の転機でした。二年目は監督が期待してくれて投げるようになりました。ただ、1年生のときはほとんど投げていなかったので、本当の試合勘というのは出来ずに、ただがむしゃらに投げていましたね。

――高橋監督はどのような監督でしたか

とにかく元気でした。僕は見本を見せる監督が好きなのですが、例えば「こういう打撃をしろ」と言えばより良い打ち方を見せる、そういう点では参考になった。少し怖さはあったが学ぶことが多かったです。

――上級生になり気持ちに変化はありましたか

3年生になって、責任を持って投げていました。優勝は叶わなかったが、なぜできなかったのかと言えばこの当時の各大学のレベルがとても高くあと一歩の差で実力が足りなかったから。一つ下の学年に中畑、二宮、平田という駒大三羽烏がいて駒大を破るのはとても大変だった。中大にもいい投手がいて、この2大学を破るのがすごく大変でした。

――主軸として投げ始めたアンダースローは武器になりましたか

僕が投げていた頃は、各大学のエース級の投手にアンダースローがとても多かった。だから、ほかのアンダースローの投手に負けたくない一心で投げていました。

――最近の東洋大野球部をどうみているか

引退してから、息子も野球部でお世話になったのでその頃はよく川越キャンパスに顔を見せていた。きれいに整備されて、ブルペンもスペースがあって野球環境には素晴らしいところがある。野球には言われるだけ、やるだけでなく、自分でいかに工夫するかという部分もある。どれだけ努力して、プラスにもっていくかが重要。誰も落ちこぼれず、それこそ優勝へ強い気持ちを持って戦うことが必ず優勝が出来ると思います。とにかく、戦国東都は変わらず厳しいとは思うがとにかく優勝を目指してほしいですね。勝ち点2を得るまではとにかくがむしゃらに戦って、あとは優勝に向かってまっしぐらだと思うので頑張ってほしいです。


お忙しい中、貴重なお話をありがとうございました!