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2017.04.13
コラム

第552回 俺の名は。 執筆者・青池藤吾

 皆さん、どうもこんにちは。今年からラグビー班、準硬式野球班のチーフを務めている青池藤吾です。すでに代替わりしてから早3カ月。今週からコラムも新体制突入です!

 毎週木曜日にスポトウ部員が普段の記事では書けないコトを思う存分書くこのコラム。今回含めて通算で552個の熱いコラムが積み重なっています。バックナンバーを遡らなくても分かると思いますが、自分から新体制のコラムが始まる通り、コラムの順番は学年・名前順です。「あおいけ」という苗字を授かっている以上、当然学年の中で最初になるわけです。大学の学籍番号は大人の事情で決められる訳ですが、高校までは出席番号=名前順。高校だけ男女別にしていましたが、先に男子をカウントしていたので基本的に前方に来ます。そのおかげか、今まで出席番号が1番ではなかったのは名古屋へ転校した小学校6年生、単純に自分より名前順で前になる奴がいた高校3年生の2度だけだったと思います。

 さて、そんな出席番号1番の多い人生ですが、今回のコラムは別に出席番号自慢ではないです。出席番号を決める材料ともなる名前の役割は色々あると思います。自分がよく考えるのは、他人からの自分の呼称は色んな記憶が染みついているということ。例えば、他人が自分のことを一番呼びやすいのは苗字に敬称を付けるか呼び捨てにするか。普遍的で呼びやすい一方、教師とか他人に怒られるときに下の名前で怒鳴られることはないので嫌な記憶がこびりついています。逆に下の名前は基本的に親しみを込めないと呼べないし、それが普通だと思います。さらにあだ名は由来次第で印象というのは大きく変わると思います。ではフルネームはどのようなものか。単純に言えば呼称ごとに染みついた記憶を統合したもの。つまり、フルネームにはその人の呼び方を基準とした様々な側面を表す役割があると考えています。あくまで、持論ですけどね。

 では、このスポトウで名前というのはどのような役割を果たしているのか。それは「責任」に他ならないでしょう。どのような記事であれ文責はもちろんのこと、Web記事の場合は撮影者の名前を記しています。要職に就けば、担当する役割の責任者として名前が上がります。この責任はただ重いわけではないのです。責任があるからこそ、自由にスポトウで様々なことが出来ます。責任で生まれた自由っていうのは無駄にはしたくない。それを肝に銘じながら、来年の2月まで頑張ります。