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2017.12.01
コラム

第584回 夢 執筆者・仲宗根優介

ハイサイグスーヨーチューウガナビラ!(こんにちは、ご機嫌いかがですか)

ワンハウチナーンチュヌ仲宗根優介ヤインビーン(私は沖縄の仲宗根優介と言います)

ユタシクウニゲーサビラ!(よろしくお願いします)

                        

 初めまして!

 社会学部2部社会学科の1年仲宗根優介と申します。担当は相撲、ラグビー、空手です。

 冒頭からカタカナばっかりで読みづらい文章が出てきて驚いた方もいるでしょうがこれはウチナーグチといい、沖縄が琉球と呼ばれていた時から話されていた言葉で文中にもいい感じに織り交ぜていけたらと思います。

 私を見たことある人はやっぱりかってなると思いますが、私は中学で相撲、高校ではラグビー部に所属していました。そのため胸囲とか色々でかいので可愛い服のサイズがないとか、シャツのボタンが閉まらないとか、高校では学ランのボタンが閉まらないってこともあり色々服に悩ませられる人生を元気に歩んでいます。私は今年の春に21歳になりまして、、、お酒もタバコも大丈夫な1年生なんですけど、なぜ私が浪人してまで沖縄から東京に出てこようと思ったのかを今回のコラムでは書きたいと思います。

 

 高校時代はとにかく部活、部活、部活の毎日で平日は放課後から始まり7時〜8時ごろまで練習プラストレーニングで、帰り仕度をしてバスに乗り9時過ぎ自宅にという今考えたらよくできたなと思うくらいの練習で勉強という勉強はしてきませんでした。その生活の中で自分を見つめ直すきっかけがありました。それは高校1年目の最後に襲った「怪我」でした。肩を剥離骨折し、1年の離脱を告げられました。同期のどんどん体も成長していく姿をグラウンドの外で見ているうちに、このままじゃ何もせずに高校生活が終わってしまう。そう考えるようになり、そう考えた時に心がラグビーから遠ざかっていくのを感じがしました。この心境の変化に気づいた両親が勧めてくれたのは新聞を読むことでした。「新しい目標はここに隠れてるかもしれない」と思い、読み続けているうちに新聞つまり新聞記者、ジャーナリストへの憧れが強くなっていきました。

 その時に大学進学を考え、記者になるには国内の中心である東京へ進学したい。と思い始めたんですが、その時うちのラグビー部が花園出場でやんややんやしている時で時期は年末。勉強は政治経済以外ポッテカスーだったので浪人生として高校1年生の勉強からし直し、2年かけて無事大学進学をすることができました。その下積みのおかげで今のスポトウにいる自分がいます。

 無事東京へきたからにはやりたいことは何でもやってみたいと思っています。最近カメラを手に入れたのでいろんな場所行って見たいし、何ならポートレートもして見たい。あと在学中にドキュメンタリー映像撮りたいと思い絶賛計画中です。

 締めになりますが、3年生とは同い年だけどあんまり仲良くなれてないのにそろそろ引退だと思うとおじさん寂しいです。担当班の3年生との一緒の取材が終わった時涙腺危なかった。落ち着いたら飲みに誘いますねー

 本当の締めになりますが、ウチナーグチの中にゆいまーるとイチャリバチョーデーという言葉があります。ゆいまーるとは漢字でかくとゆいを「結」手と手を取り合って助け合いましょうという意味が込められていて、イチャリバチョーデーとは一度会えば皆兄弟という意味が込められているウチナーグチです。これからのスポトウもゆいまーるとイチャリバチョーデーが今よりもっと似合うスポトウになっていければいいなと思います。

いっぺーにふぇーでーびたん!(ありがとうございました)