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2017.12.14
硬式野球

[硬式野球]「東洋大で学んだことを生かして」若原、独立リーグへ

卒業後は独立リーグに進むことを決めた若原(営4=愛工大名電)。人生をかけた決断の裏にある様々な思いを語ってもらった。



「どうしても野球がやりたい」。その一心で大学卒業後も野球を続ける道を選んだ若原。しかし、春季リーグ戦で思い描いていた結果が出せず、一時は野球を諦めて就職することも考えたという。そんなとき、若原にチャンスが訪れる。愛工大名電高時に3年間お世話になった現高知ファイティングドッグスのトレーナーに「もう少しが野球できるなら一緒にしよう」と声を掛けられた。野球をしながらオフシーズンにはアルバイトをするという、これまでとは全く違う生活環境になる。悩みに悩んだ結果、「厳しい環境になるがやはり自分は野球が好きで。もう少し頑張ってみようと思った」と独立リーグに進むことを決めた。

  決断後も周囲の人の温かさに支えられた。両親に迷惑をかけてしまうと心配していた若原は「良かったね。頑張れよ」という両親からの言葉には涙が出たと話す。そして、若原が“最高の仲間”であり、“一生の財産”と語る東洋大硬式野球部。そのチームメイトからの「いいところに決まって良かったじゃん」という言葉も「うれしかった」と笑顔を見せながら語った。

  1月からは寮に入り、高知での生活が始まる。新境地に加え、周囲は初対面の人ばかり。それでも、「緊張というより楽しみ」と前を向いている。「活躍して両親に恩返ししたい」。その思いを心に刻み、若原は新たなスタートを切る。



――秋季リーグを振り返っていかがですか
監督さんが今シーズンラストということで、チームで一つになって本当は神宮大会で優勝したかったので最後日本一を取れなかったというのは非常に悔しかったです。

――若原選手にとって高校1年生以来の神宮大会だと思います
2011年の神宮大会は自分は本当は入っていなくて、けが人が出て枠が空いたから入りました。でも、今回は戦力として監督さんがいれてくれて。自分はチームに色々迷惑かけてしまっているので本当は打って監督さんに恩返ししたかったんですが、それができなかったというのは本当に悔しいですね。

――4年間の東洋大での練習は若原選手にとってどのようなものでしたか
辛いことはたくさんありましたが、東洋大に入ってすごく良かったな思っています。監督さんにバッティングなど注意されたことはありましたが今思えばそれが愛情だったんだなと思います。東洋でやってきたことは間違ってなかったと思いますね。

――4年間で一番の思い出をお願いします
秋のシーズンで優勝できたのが一番の思い出です。優勝してみんなで集まった瞬間とか良かったです。野球以外だと寮生活ですね。4年間過ごしたのが今の仲間で良かったなとすごく思います。

――若原選手にとって東洋大野球部のメンバーはどんな存在ですか
最高の仲間でした。本当に、自分の一生の財産になってくると思います。

――来春からは独立リーグに進むとお聞きしました。そのきっかけを教えてください
きっかけは、自分は本当は社会人野球をやりたかったんですけど、どこも入れなかった。春のリーグ戦で全然結果が出なくて野球を本当は諦めててずっと就活を回っていたのですが、高知県の独立リーグのトレーナーが高校時代に自分が3年間教えてもらっていた方だった。その人にプッシュされて、もう少し野球できるなら一緒にしようよと言われました。厳しい環境になるので悩みましたが、やはり野球が好き。もう少し野球頑張ってみようかなと思って決めましたね。バイトもしながらという生活になるんですけど、野球ができるありがたみっていうのを感じてやっていきたいと思っています。チームメイトも「いいところ決まって良かったじゃん」と言ってくれたのでうれしかったですね。両親に「良かったね」と言われた瞬間、涙が出てきた。「頑張れよ」と言われて本当にうれしかったですね。まだ大学では自分が活躍したところ両親に見せれてないので、向こうで活躍していいところ見せて恩返ししたいと思っています。ずっと野球を続けたいです。ずっと野球に携わりたいと思うし、独立リーグも長くいれるわけではないので、この2、3年が勝負だと思っています。

――今後の意気込みをお願いします
また一からスタートという感じで、緊張というより楽しみですね。これからは東洋大で4年間学んだことを次のステージに生かして活躍したいと思っています。


TEXT/PHOTO=望月優希