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08年以来のリーグ戦春秋連覇を成し遂げ、今年度で勇退する高橋監督の有終の美を飾った硬式野球部。春の笑顔の優勝から一転、秋は多くの選手から涙があふれるほど、戦国東都の頂は険しかった。Vロードを歩んだ選手の心境をお届けする。
第4日目は西川元気捕手(営4=浦和学院)。副将としても、正捕手としても実りのあった秋のリーグ戦となった。高橋政権最後の正捕手としてのリーグ戦、そして4年間を振り返っていただいた。(取材日・11月26日、聞き手・青池藤吾)
――秋のリーグ戦を振り返っていかがですか
最後優勝できたのでよかったです。正捕手になってから3季はダメだったが、最後のリーグ戦で良くなって打点もリーグで1番になってチームに貢献できてよかったです。
――飯田(営4=常総学院)投手は秋受けていてどうでしたか
真っすぐは春よりは劣っていたし、変化球も甘かったので捉えられることが多かった。ただ、自分で考えてやれる投手なので言うことは特になかったです。
――甲斐野(営3=東洋大姫路)投手が台頭してきましたが
真っすぐは速いのと、威力があった。あと、どんな状況でも空振りが取れる落ちる球を持っていたので抑えられたと思う。高橋監督も日大戦で抑えたので信頼していて、本人も体力があったから投げられたのだと思う。
――捕手として飯田投手と甲斐野投手はどのような違いを感じていましたか
抑えやすかったのは甲斐野ですけど、楽しかったのは飯田。甲斐野は真っすぐと変化球で組み立てればとりあえず抑えることができました。飯田は制球力が高いので、自分で考えながら配球していたなと思っていました。
――ほかの投手陣はどうでしたか
飯田と甲斐野が良すぎて投げる機会は少なかったがいいものを持っていると思います。村上(総1=智弁学園)は国学大1回戦で勝ち投手になったが、苦しい試合の中で途中から村上の球を受けていたら「コイツのために負けられないな」と思いました。気迫があふれていて、ピンチになるとギアが上がって、回を重ねるごとに気迫があった。センバツ優勝も経験していて、勝負根性があって今後が楽しみです。イチオシですね。
――今季で高橋監督が勇退することになりましたが
(神宮大会日体大戦後に)「いいチームだった」と言われました。今までのOB含めて「お前たちのおかげでいい思いができた」と言われたのはうれしかったです。
――高橋監督に4年間教えられたことはありましたか
印象に残っているのは「捕手はカッコよくなきゃダメだ」と言われたことです。仕草とかリードするときの声の掛け方、ジェスチャー、立ち振る舞いがカッコよくないと味方に信用されないし、相手になめられると。試合中は意識することはなかったが、秋は出来ていたと思います。
――ご自身の4年間を振り返っていかがですか
1年生の記憶はほとんどないです。もう少し頑張れれば良かったかなと。ただ、2年生になって結果もオープン戦で付いて来て、自信がつきました。そのときに原(H27年度営卒=東京ヤクルトスワローズ)さんだったり、後藤田(H27年度営卒=東海REX)さんが1部に上げてくれてその後2年間1部の正捕手を務められてよかったと思います。
――1部昇格して、その後2年間正捕手を務めてどうでしたか
最初の1年は高橋監督が我慢して使ってくれたのだと思う。自分たちが昇格したときは1部と2部がきっ抗していたので、上がってもそこまで圧倒されることはなかったです。(投手ごと交代させられた時は)そのときは理解できなかったが、よくよく考えてみると投手も野手も全然引っ張ることができていなかったし、ほかの4年生に引っ張ってもらっていただけだったと思うので、変えられて当然だと今は納得しています。
――1年半飯田投手とバッテリー組んでいましたが
3年秋の開幕戦の中大戦で飯田が初完投したことが印象に残っています。夏ごろに「飯田がエースだな」と思って、この試合だったのでワクワクしていたのを覚えています。あんな制球力のいい投手と組むなんて今後そうないだろうなと思いました。制球力のある投手と組むと捕手は考えながら配球できるので楽しかったです。自分のことをやるのはもちろんだし、チームのことをしっかりとやっていたので凄いなと思いました。
――最後に今後と下級生へ一言お願いします
高橋監督の下で4年間育ってきたので、顔に泥を塗らずに喜んでもらえるように頑張っていきたい。下級生へは東都の代表として日本一になってほしいと思います。