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2018.08.16
コラム

第617回 オールドルーキー 執筆者・齋藤洋

「野球を始めたのは小学三年生の頃。きっかけは、近所のお兄さん達に誘われたこと」。齋藤(法2=獨協埼玉)はこう振り返る。今日の彼の人生に必要不可欠となった競技との出会い。それは驚くほどありきたりであった。運動神経は、両親からの遺伝なのか、お世辞にもあるとは言えない。さらに50m10秒台(当時)という恐ろしいほどの鈍足。そして重い身体。常人なら、腐ってしまうだろう。ただ、三度の飯より(いや、食べることも大好きだが)野球が好きな齋藤少年は来る日も来る日もバットを振り続けた。その成果は徐々に現れ、六年時にはチームの主軸を担う。ちなみに守備位置は一塁手。「動けなかったので」と恥ずかしそうに語った。          

    当然、中学時も野球部に所属。守備位置は投手兼一塁手。「投手はベンチ入り人数が多いので」と、投手として入部。そんな逃げ腰の選手が下級生時から大成するはずがなく、選手としてのベンチ入りは三年時。しかも控え投手としてであった。

    そんな齋藤に転機が訪れる。秋季県大会での一打である。終盤の1点ビハインド、一打同点のチャンスで「朝のフリー打撃で調子が良かった」と語る監督が、齋藤を代打に送る。すると、高めの直球を振り抜いた打球は必死で追う中堅手の前にポトリと落ちる同点適時打に。チームはそのまま逆転勝利。齋藤は「ただただ、落ちてくれと願いながら走っていた」と当時を振り返る。その後、持ち前の鋭いライナーで長打を放つ打棒を生かし、一塁手のレギュラーに定着。中学野球の集大成、学校総合体育大会で先発出場をするも、チームはまさかの地区予選一回戦敗退。自身も二度の好機で実力を発揮できず。「まさかこんなところで負けてしまうとは」と、現在も悔しさが癒えないようだ。

    そして、悔しさを抱えながら、獨協埼玉高校野球部に投手として入部する。中学時と同様、三年生でようやく控え投手としてベンチ入り。「正直、いい思い出はあまりない」と言うが、選手権大会での最終登板は今でも脳裏に焼き付いているようだ。3点をリードされた八回裏、齋藤は小雨降る川口市営球場のマウンドに立つ。二死から四死球で満塁の走者を背負い、打席には四番打者。「とにかく三年間磨いてきた直球で勝負しよう」と雨と汗で濡れた腕を振り続ける。これまでで一番の指の掛かりを感じた投球は、外角低めに構えられたキャッチャーミットに吸い込まれた。これが齋藤の高校野球ラストボール。プレーヤーとしての野球人生は終わりを告げた。



     現在、大学生となった齋藤。中学、高校の恩師に憧れ、「野球に関わる仕事に就く」という夢に向かって邁進(迷走?)中である。今季から、空白の一年を経て東洋大学スポーツ新聞編集部の記者として活動する。すでに大学野球サマーリーグで初の記事を執筆したオールドルーキーは体重100kg超の巨体が持ち味(?)。「これからたくさんの記事を書き、たくさんのやりたいことを実現させたい」と言い残し、鶴ヶ島へ向かったこの男の今後に注目である。

   長文にお付き合いありがとうございました!法学部二年の齋藤洋です。担当部会は、硬式野球・剣道・バスケットボール・柔道です。お察しの通り、私は野球がなくては生きていけない、そんな人間です。今回のコラムは、私の野球史を記事として書かせていただきました。自己紹介との順番が逆になってごめんなさい(苦笑)。これからよろしくお願いします!

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