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2026.03.30
陸上競技

[陸上競技] 令和7年度陸上競技部卒業特集 栁田大輝×小川大輝対談 世界に「大」きく「輝」いた -後編-

  鉄紺の先頭に立ち、世界へ駆けた4年間だった。今年度の東洋大陸上競技部短距離部門の主将を務めた栁田大輝(文4=農大二)と副主将の小川大輝(ラ4=豊橋南)。同じ漢字の名前を持つ同い年の彼らは、奇しくもそろって東洋大に入学した。


 100mを専門とする栁田と400mHで戦う小川。種目は違えど、パリ五輪、東京世界陸上ではともに代表入りを果たし、日本のトップをひた走ってきた。大学陸上界屈指の強さを誇る東洋大陸上競技部短距離部門を率いてきた2人が、この春、鉄紺のユニホームに別れを告げる。その名の通り、世界を舞台に「大」きく「輝」いた4年間だった。

 

 大学生活を駆け抜けた2人に、これまでの日々を振り返ってもらった。後編では、主将・副主将として過ごした4年目(聞き手=近藤結希、取材日=1月21日


前編はこちらから➡️https://sports-toyo.com/news/detail/id/30946





-主将・副主将として過ごした4年目-


ーー最後の1年は主将・副主将としてチームを率いることになりました。ご自身の競技と並行してという部分で大変だったことはありましたか。


小川 自分は多くは語らずに…


栁田 背中で引っ張るタイプだった?(笑)


小川 うん(笑)。練習している姿から見せられていたはずだと思います。主将は…頑張ってたね、だいぶ。


栁田 そう?別に何も…


小川 部員にずっとまとめる指示をしていたのは、栁田がやってた。


栁田 まぁ、やるしかなかった(笑)でもそんなに…。


小川 主将・副主将だからってそんなに気負わずにできてたよね。


栁田 主将・副主将だからっていうより、一番上の学年だからっていう考えの方が強かったと思います。主将・副主将だからあれもやらなきゃこれもやらなきゃというのとは違ったので、それが重荷になるわけでもなかったです。


ーー先ほど「頑張ってた」ともおっしゃっていましたが、小川選手から見た栁田選手はどんな主将でしたか


小川 自分は結構チームがもめているのとか、入部式の挨拶とか…。


栁田 いっこもしなかった(笑)。


小川 めんどくさいタイプだったので、主将・副主将どうするってなったときに、じぶん副主将やりますって言ったんですよ(笑)主将じゃなくて。そうしたら栁田が主将やるしかないなって思って、先に「副主将やります!」って言って、やらせたじゃないけど(笑)


栁田 そうなんです、なんとなく栁田か小川が主将かなってなってたんです。なんとなくその話がまとまってきた中で、急に「じゃあ俺副主将やる!」って(笑)なんの前触れもなく。「それは主将やる流れじゃないんだ」って。


ーー副主将の方に立候補したんですね


栁田 珍しいタイプだな!って思いました(笑)


小川 栁田に任せようって(笑)。


栁田 言うほど主将もそんなにやることなかったですけどね。それこそ納会と入部式で話すくらい。そんなに大変な思いはしなかったです。


ーー主将就任当初に「主将として一番速く走る」とおっしゃっていたのが印象的でした


栁田 主将だから速く走らなきゃと気負っていたわけではないですし、陸上をやっているうえでそれは当然のことなので。もちろんチームの顔として、主将・副主将がちゃんと結果を出したら、みんなもそれに触発されていい刺激を与えられるかなと思っていたので、そういう意味でも「一番速く走ろう」と思っていました。


鉄紺の先頭を走ってきた



-活躍に刺激受けて-


ーーお互いに支えられたこと、刺激をもらったことはありましたか


栁田 刺激をもらってたのは、もう…


小川 あれかな、日本選手権。


栁田 いつの?


小川 大3の


栁田 それは俺が逆に刺激もらってたよ、パリ(がかかってた)の時の日本選手権。あれ、標準切るしかなかったんだっけ?


小川 俺は、標準切るしかなかった。(代表になるには)標準切って3番以内しかなかった。


栁田 そうなんですよ。3番以内に入っておけばランキングでいけるとかじゃなくて。そこで本当に切ったんです。決勝の、最後の最後で。しかも標準記録ぴったり。それを見たときには、さすがに「こいつにはかなわないな」って思いましたよ。

 僕も次の日レースだったので、会場にはいなくてテレビで見ていたんですけど、「こいつやばぁ」って。刺激受けたっていうより、いい意味でとんでもないことしてるなってずっと思っていました。


小川 でも、インカレとかは大体100mと4継が先にやって、その後に400mH、マイルって流れで。毎回100mで優勝とかして、リレーでも毎回上位に入ってくるので、栁田が勝ってるから俺も勝たないとなって。そういう刺激はもらってました。


栁田 俺はめっちゃ性格悪くて、勝ってめっちゃプレッシャーかけよって(笑)。大体100mと4継は最初の2日で終わっちゃうじゃないですか。3日目、4日目は土日になるから人もいっぱい入ってくるし。


小川 そう…テントまで来て。


栁田 僕は終わってるからめっちゃすっきりしてるんです、「頑張ってー」とか言って。


小川 そう、すごい嫌だったなぁ(笑)。


ーーちゃんとそのプレッシャーを感じながら


小川 そうですね、プレッシャーも感じてましたけど、いい刺激にはなってました。



ーー先ほど大3の日本選手権の話も出ました。見ているだけで大興奮の試合でしたが、ご自身の感覚としてはいかがでしたか。


日本選手権で参加標準記録ピッタリをマークし、パリ五輪代表をつかんだ




小川 自分としては諦めていなかったというか。標準切るしかないってわかってるけど、切れるというマインドだったので。試合を走る前の瞬間とかも全部覚えているし、自信があったんです。

 でも、1位の豊田さんが速すぎて。遠すぎて、逆に47秒台とかであってくれって思ったんです。ゴールした時に1位は47秒99とかで、「あれ、これもしかしたらあるのかな」って思ってた時にぴったりが出てきて。全部解放された気分というか、「これで五輪いけるの?」って不思議な感覚でした。

 その日は朝3時くらいまで寝られなくて、ずっとそわそわしている状態で。信じられなかったです。



ーー勝負強さが際立った大会でしたが、ご自身の中でその勝負強さはどこから来ていると思いますか。


小川 自分も最初は勝負強いとは思っていなかったんですが、自分が「試合に挑むときってこういう気持ちじゃないの?」って思っていたことが意外と当たり前ではなかったらしくて。話を聞くと、弱気になったりしてしまう人も多いと思うんですけど、自分は1位になる想像とかをしながら自分を奮い立たせています。

 それが自信につながって、勝負強さになっているのかなと思います。自分でもよくわかっていないんですけど、そういう気持ちのもって生き方がうまいのかなと。



ーーそれは直前の練習で状態が上がらなくても?


小川 そうですね、大2の日本選手権で初めて優勝した時も、腰が痛くて。テーピングぐるぐるで走っていたんですけど、その中でも自分ならいけるって思っていました。ポジティブな方にもっていっています。



ーー栁田選手は試合前はどんな心持ちで挑んでいますか


栁田 もちろん、緊張はしないレースはないですし、むしろ緊張している時の方がいいということも聞いたりはするので。

 どちらかというと僕は小川とは逆のパターンかな。スタートミスったらどうしようとか考えることもありますし、結局考えてもしょうがないことばかり考えたりはしているんですけど。アップしながら、緊張がなくなるわけではないので、うまく向き合いながら。最近はむしろ緊張も昼用だと思いながらレースに臨んでいます。



ーー同じ名前を持つ2人ですが


小川 確かに入学したときは「同じ漢字じゃん」って話はして。舘野も下の名前に「輝」という時が入っているので、「おぉ」って話はしてたりして…。まぁそんなに深い思いではないかな(笑)おばあちゃんが間違えたくらい(笑)


栁田 間違えてお小遣いもらっちゃった。小川くんのおばあちゃんから2回くらいお小遣いもらいました、孫間違えてるよって(笑)


小川 ほんとに意味がわからない(笑)





-卒業後も東洋大で-


ーーこれからも競技を続けられると思いますが、今後の目標を教えてください


栁田 最近思っているのが、今までは大学生だったので、陸上でうまくいかなかったり、例えばやらなかったりしても誰にも迷惑はかからないというか、困らないとは思っていたんですが、4月からは企業に入らせてもらって、会社の看板を背負って走るわけなので、それ相応の責任というか、会社の名前を胸につけて走るからには結果を残さないといけないと思っています。

 だからといって変にプレッシャーを感じるわけではなくて、しっかり練習して、しっかり休んで。やることは今までと変わらないんですけど、今まで以上に速く走りたいなと思っています。



ーーHondaに進まれるということで、選んだ理由などはありますか


栁田 本当にいろいろな縁があって。今、Hondaの長距離で駅伝に関わっている東洋の出身の方がいて。その方がグラウンドに来たときに、土江先生がふざけて「栁田とるんじゃないの」とか言っている中で、実は本当にそんなやり取りから始まった縁です。

 「世界のHonda」とも言われていて、その名前を背負って走りたいなという思いが浮かんできました。



ーー練習はこのまま東洋で?


栁田 はい、東洋でやると思います。


ーー小川選手はいかがですか


小川 富士通は実業団の中でも本当にトップクラスの選手しか集まっていない、強いチームなので、その名前をつけて走るからには情けない走りはできないなと思ったり。チーム内でも速い選手ばかりなので、「富士通は速い」ってファンの方々も思っていると思いますが、その中でも自分も負けないように、これからもトップでいられるように頑張りたいなと思っています。

 最初は土江先生から「どこ行けるかわからないよ」という感じで言われていたので、どこかは入れれば、陸上を続けられればいいなって。でもシーズン入って、6月、7月くらいに「富士通いけるかも」っていう話が出て、日本選手権で優勝した後に決まったって感じです。所属していたジョセフさんとかジュリアンさんとか。土江先生ももともと富士通所属なので、そういう縁がありました。



ーー春からは違うチームになりますが


栁田 まぁ所属が変わっても練習拠点は変わらないですし、なんなら引っ越して、2人とも今は寮には住んでいないんですけど、引っ越した先がめっちゃ近所なんです。


小川 歩いて15分くらい


栁田 俺が先に引っ越したんですけど、俺の一個下の階にすればいいじゃんって言ってたのになかなか決めてくれなくて(笑)だから、卒業して所属が変わるからと言って全く会わなくなるわけじゃないので。練習でほとんど毎日顔を合わせると思いますし、ただレースに出る時にユニフォームが違うだけで。

 もちろん小川を大学4年間のように応援する気持ちも変わらないので、小川だけじゃないですけど、一緒に練習する他のOB、後輩、同期も一緒に。今年のシーズンも一緒に戦っていきたいなと思います。


小川 本当に所属先が変わっても練習場所は一緒で、Hondaと富士通という全く違う会社に行くので、同じ色のユニフォームを来ていないのを不思議に感じるかもしれないですけど、今まで通り気持ちは変わらず、お互い頑張ろうという気持ちです。



ーー改めて、東洋で過ごした4年間を振り返っていかがでしたか


小川 陸上を始めて、ここまで来ると思っていなかったので、本当に人生変わったなという4年間でした。

 大学でやめるんだろうなと思いながら入学して、やるからには全力でやりたいという性格なので、全力でやっているうちにここまで来れました。

 本当に東洋大学の梶原監督やコーチの方々、OB、先輩に支えられたからこそ今の自分があると思うので、本当に感謝しかないですし、今振り返っても、本当に東洋大に入って良かったなって思える4年間でした。


栁田 ほぼ同じです(笑)4年間東洋大学でやってきて、心の底から良かったなって思います。この先もずっと思うはずですし、東洋大学じゃなかったら今、Hondaに入って競技を続けるとか、今年のシーズンこそは9秒台を出すとかいう状況にはなっていなかったのかなって思うので、本当に色々なことを含めて、この東洋大学で4年間陸上競技をやってこれてよかったなって思います。

 まだまだ土江先生始め、梶原先生や東洋のスタッフの方々にお世話になりながらこの先も競技を続けていくと思うので、卒業しても自分に関わってくれているすべての人に喜んでもらえる結果を出して、恩返ししながら競技を続けていければと思います。



-同期へ-



ーー4年間をともに歩んだ同期へメッセージをお願いします


栁田 ひとくくりで言ったら、「4年間ありがとう、あの時はごめんね」くらいしか出てこない(笑)“あの時”がいつを指してるか、謝らなきゃいけないことはいっぱいあります(笑)


小川 ほんとだよ(笑)問題児だったから


栁田 今だから自分で言っちゃいますけど(笑)あんまり自覚はなかったんですけど、やっぱりそれも同期がいなかったらやってこれなかった部分なので、今みんなが慕ってくれているかはわからないですけど…

 本当にまずは4年間ありがとうと…あとは色々ごめんねですね(笑)本当にそれに尽きるかな。マネージャー含めて同期8人。この8人だったから、この4年間があったのかなと思います。


小川 こうやって引退してから、同期の顔を見ると安心しますし、練習で同期がいないと「あれ、なんでいないんだろ」っていう感覚には今でもなります。たまに練習に来たときには本当に安心するし、笑顔になれるし。一番支え合ってきた仲だからこそ、そういう安心感があるのかなって思うので、この4月からバラバラになるのは寂しいですけど、いつか集まってね。


栁田 年一くらい、関東がいないんですよ


小川 そう、みんな地方だから…


栁田 遠くて!


小川 だから集まれるかはわからないけど、心の支えです。



-色紙の言葉-


ーー色紙には、4年間を表す言葉を書いていただきました。栁田選手は「出会いに感謝」と書かれていますが


栁田 本当にそのままです。まずは、この同期に出会えて本当に良かったなって。もちろんそれは同期だけじゃなくて、後輩も先輩も、スタッフの方々とか他に代表の遠征だったり。色々な場面で色々な方と出会うことができて、本当に出会いに恵まれて、色々なことを勉強できて、経験できて。だからこそ4年間やってきてよかったなと思えているんだと思います。本当に今までの出会いに感謝したいですし、この先の出会いも大切にしていきたいという気持ちを込めて書きました。



ーー小川選手は「限界を決めない」と


小川 自分は小学生のときにサッカーをやっていて、テレビを見ている時に本田圭佑選手が言っていて言葉です。「自分に限界を決めるな」って言っていた言葉が今でも心に残っていて、なんのテレビかも覚えていないんですけど、その言葉だけはずっと自分の中に残っていて。自分に限界を決めてしまうと成長はないなと自分でもその考えにたどり着きました。ずっと思っているからこそ、限界値を決めずに限界突破していければいつか世界で戦えると思っています。





-これからの東洋大へ-


ーー最後にこれからの東洋大陸上競技部にエールをお願いします


小川 一緒に生活していたら、本当に馬鹿ばっかというか(笑)


栁田 言葉選びに迷ってた(笑)


小川 常識はずれなやつが多いんですけど、競技になったら安心できるというか、あいつならやってくれるって。そう思えるくらい心強い仲間だったので、これからさらにレベルアップした東洋を見せてもらえるという期待はずっとしてますし、心配しなくてもあいつらならやってくれると思うので、これからも変わらず頑張ってほしいです。


栁田 そうですね、むしろ卒業する僕らが心配するようなことは全くないので、しっかり練習をやって、絶対に結果を出してくれるメンバーだと信じているので、変に気負わず頑張ってほしいです。本当に純粋に東洋大学を応援しています。



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