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2018.01.20
コラム

第590回 人生、ディセンディングで行こう!執筆者・菊池美玖

 こんばんは、水泳、レスリング、ラクロス、柔道を担当していました、スポーツ東洋3年の菊池美玖です。もう最後のコラムと思うと、寂しい気持ちがします。副編集長や連盟も務めていました。スポトウのサブの方のツイッターも7割方更新していたので、やり取りしたことがある方もいらっしゃるかと思います。リツイート、いいね、コメント、うれしかったです。ありがとうございました!

とはいえ、木曜日がコラムの日なのに2日遅れてしまったのは本当にすみません>_< 

スポトウに入った経緯

スポトウの活動を、記事と振り返り 

スポトウで私が頑張ってきたこととこれから

 

  この3部構成でいきたいと思いますので、みなさんお時間ある時に読んでください!(じっくり読むと疲れるぐらい長いので、さらっと読んでいただければと思います。)

 

タイトルでもあった「人生ディセンディングで行こう!」は、今週の水泳の授業の際に、平井先生がおっしゃっていた言葉です。

 

この言葉を聞いた時に「あ!私のコラムにぴったりかも!」と思ったので使わせてもらいます!水泳の練習でどんどんタイムを上げることをディセンディングというのですが、人生もそれと同じでどんどん上げていこう!ということだそうです。過去や思い出に縛られず、今を一生懸命に!この言葉にはそういう意味があるのかなって思いました。

 


スポトウに入った経緯

   わたしは小学校から「泳げるようになれたらいいなぁ」ぐらいの気持ちで、地元のスイミングスクールで水泳をやっていました。私は岩手県に住んでいたのですが、高校で水泳部に入っても、震災後なので地元のプールが壊れて使えません。そこで、隣町まで泳ぎに行っていました。その小さなプールに復興支援として来てくれたのが、宮下純一さん、柴田愛さん、柴田隆一さんです。初めてトップスイマーの泳ぎを見て、とてつもなく感動しました。あの年は、なでしこジャパンが世界一になったり、甲子園では花巻東がいいところまで行ったり、いろんなスポーツに元気づけられてきました。スポーツが日本を、岩手を、熱くする。だからこそ、スポーツを見て感じる感動を、私は伝えていきたいな!そんなことを思い始めたのもこの頃です。

  そんなこんなで大学選びが始まるのですが、私がまず大学選びで大切にしたのは「箱根駅伝に出るかどうか」でした(笑)

  というのも、小学生の頃に箱根駅伝を見ていたら、おばあちゃんが「みくが箱根駅伝に出る大学に行ったら、おばあちゃんも箱根に旅行できるかな」って言ったのが全てのきっかけです(笑)その時に優勝したのが、柏原さんがいたころの東洋大学。何にも知らない小学生なのに優勝したかっこよさに憧れて「私、東洋大学入る!」ってずっと言い続けて今に至ります。不純な動機ですが、まぁよく叶ったなと我ながらに思います。そして、あの頃から箱根駅伝10年連続TOP3で、本当にすごいです!

  そんなこんなしている何年かの間に、どんどん水泳部も強くなっていました!

 

  スポトウは推薦受験の時に教授からオススメされたので入ってみたいなって思っていました。水泳部のマネージャーもやってみたいなと思っていたのですが、他のこと(バイトや留学など)もやってみたいと思っていた自分には、マネージャー業だけに専念できないと思い、スポトウを選びました。でも、マネージャー体験の時に、頑張っている選手を見て、陰ながら応援したいなという気持ちが強くなりました。なので、スポトウの活動をこうして3年間続けることができて、本当にうれしいです。選手の中には、私がマネージャーとしてお邪魔していたのを覚えている人もいて、少し恥ずかしい(笑)

  と、スポトウに入った経緯はこのような感じです。めちゃめちゃ誰得な文章になってしまいましたが(笑)結論は「スポーツって見てるとすごく元気をもらう&東洋大っていいところだなあ」ということです!

 


スポトウの活動を記事と共に振り返り

 

 記事では入れることができない個人的な感想と共に、スポトウの取材活動を振り返りたいと思います。4部会担当していたのですが、全部会について書いていたら、更に長くなるので、2年間チーフを務めた水泳について書きたいと思います!

スポトウに入った1年目はまだ選手のこともスポトウのこともよく分からず、よく分からないままに終わってしまいました。でも、その1年目の終わりに、水泳班のチーフを任されて「!?!?」何が起こったのか、やっぱりよく分からなかったです(笑)でも、せっかく任されたし、2年間もチーフをできるってことだから頑張ろうって思いました。

 

その頃に書いたのがこの記事です!ウィンターカップという大会で、主に今の3年男子のことを書いています!なんだか懐かしいです

 

→標準記録突破者多数!1年生の飛躍目立つ

 

そしてスタートしたスポトウ2年目は、4月の日本選手権、リオ五輪選考会から始まります。他大の新聞部は選手が出ないので来ない日も。しかし、東洋大学は7日間、午後の決勝まで毎日何選手も進みました。(ほんとうにすごい。)その時の水泳班は私と、あかりさん(私の1つ上の先輩)の2人だけ。2人で7日間朝から晩までずっと一緒にいました(笑)始まる前はちゃんと取材できるか不安でしたが、終わってみるととてもすごい経験をしたんだ!と我に返り、当分水泳ロスが続きました。

  オリンピックって一つの区切りですし、競泳はタイムと順位で行けるか行けないかがはっきりと分かるので、レース後に悔しくて泣き崩れる選手もたくさんいました。その中で東洋大から輝きをみせたのが、今は時の人、大橋悠依選手です!

それまでは大橋選手は2個メのイメージが強い選手でしたので、4個メにエントリーしている時点でもチャレンジなのかな?って思っていたら、まさかの3位!しかも、リオ五輪派遣標準記録まであと1秒もないという、とんでもない記録でした!そんな大橋選手がまだ囲み取材される前のスポトウ独占取材記事です!コメントたくさん載ってます→2016.4.4 日本選手権

 2年生の時に印象に残っているのは、なんといっても9月号の、萩野選手が1面の新聞です。あれはたくさんの人がかっこいい!と言ってくれてうれしかったです。ですが、面担で私の名前が載っているけど、実際自分の力だけじゃないわけで…いろいろ葛藤もしました。あの時の裏話というか思い出も、せっかくなのでここでお話させてもらいます。

萩野選手がリオ五輪で金メダルを獲得してから新聞作成期間に入るまでは1ヵ月!私はたくさんのスポーツ新聞を買って、どんな紙面にしたいのかを考えました。金メダルを初日に獲得してからというものの、あれよあれよという間に金銀銅を制覇!(ほんとうにすごい。)スポトウは結果が出て、すぐ出る新聞ではありません。1か月後に出る新聞だからこそできるものはなんだろう。レース展開なら一般紙にも書ける。それは、萩野選手が東洋大学で過ごしてきたことを書くことなのではないかと思いました。(これは反省会でまおりちゃんも言っていましたね。大事なことだと思います!)

 

取材当日は、すごく緊張しておなかが痛かったです。萩野選手に取材するということもですし、1面のプレッシャーがあったからです。ここでいい写真を撮らないといけない。いい取材ができないといけない。前日に、当時の木谷編集長にどんな写真を撮ればいいのかを相談し、サイン間違えるのかなと思って、色紙は10枚買いました!ですが、やはり金メダリストたるもの一発OK(笑)!そして、あかりさんが撮った写真は最高ですね!やっぱりこの紙面を見ると当時の事を鮮明に思い出すなぁ。

 

 

 2面は選手名鑑をつくるために、水泳部みなさんにアンケートを書いてもらいました。結構項目が多かったと思うのですが、どの質問も丁寧に答えてくれていました。この人たちは生半可な気持ちで競技をしていない。そう、改めて感じました。写真撮影の日は、全員同じTシャツを着ていてくれました。連絡を取り合ってくれていたマネージャーさんにも感謝です。3面は、インカレ女子総合優勝がメインになっています!この新聞は、東京ドームホテルでも行われたリオ五輪報告会でも配られていて、たくさんの人に届いて本当にうれしかったです。

 

 そうして、スポトウ3年目(ラストイヤー)がスタート!4月号は、水泳班満場一致で、松本主将のインタビューを紙面で掲載しました!「今度は俺が支える番」という大見がすごくかっこいいですし、新チームがスタートするにあたり決意をとても感じました。

 

 最初の取材は日本選手権!ここでも輝いてくれたのが、大橋選手です。予備原稿(レースが終わる前に書いてある記事)では「大橋が33秒台で優勝!」と書いていたのですが、まさかの31秒!速すぎました。その頃から大橋選手は囲み取材になってしまったのですが(もしかするとW杯ぐらいから囲みだったかもしれない31秒台出したときの記事がこちらです!

 

→日本選手権2日目 シンデレラガール大橋 日本新で世界選手権代表権獲得!

 

また、露内若葉選手が4フリで3位に入った時の「堂々の銅メダル」というタイトルもすごくお気に入りです!

 

遠征裏話

 日本選手権は空き時間も多く、今年は名古屋だったので、味噌煮込みうどん、味噌カツなども食べることができました!なんといっても私の大好きなスタバにも後輩を無理矢理連れて行き(笑)タンブラーや、名古屋限定カードをゲット!その時の期間限定だったパイドーム、めちゃうまでしたね!

 

9月のインカレは、女子は総合優勝を目指す中で2位と悔しい結果になりましたが、最終種目8継で優勝!4年生の大橋選手、露内選手、菊池優奈選手が最後に意地を見せてくれました。正真正銘の圧倒的勝利!平井先生と田垣先生が抱き合うのを、プールを越えた反対側から見ていたのですが、目頭が熱くなりました。表彰台の真ん中で笑う写真は、どれもいいものばかりです。

男子も最後の8継で準優勝。昨年度の悔しさを晴らせたんじゃないかなって、思っています!8継を泳いだ3人は来年度も残るので、今からとても楽しみです。個人的に、最後の年にようやく組むことができた、4男3人(小鶴選手、毛利選手、三好選手)のメドレーリレーにも感動しました。

 

きっと、世間的に今年の水泳部の中で1番大きな出来事って、大橋選手の世界水泳銀メダルかと思います。私もテレビで見ながら、興奮しっぱなしで、すごくうれしかったです。大橋選手を初めて見たときは、彼女が大学2年生の時で調子が良くない時でした。でも、すごくきれいな泳ぎ方なのは昔から変わらず。「あの選手誰ですか?」と先輩に聞いてしまうほどでした。2年でこんなに成長するのは、競技力もですが人間力もあるからだと思います。大橋選手のこれからの活躍も楽しみにしたいと思います!

そのことについて、中村礼子さんに取材をしたので、こちらもぜひ読んでいただきたいです!

中村礼子さんにお聞きした、大橋選手のすごさとは!

 

水泳部のみなさんには3年間、たくさん感動をもらいました。近くで取材することができて、うれしかったです。今までありがとうございました。来年度からも後輩達が取材に行くので、よろしくおねがいします!(9月号と12月号、プールに張ってくれててうれしかったです!)



スポトウで私が頑張ってきたことと、これから★

最後のコラムで言おうと決めていたことは、私が今年一年自分の中で掲げてきた目標です。それは「11人が輝けるサークルにする」というものでした。

 

記事や写真などの名前が載る仕事もあれば、朱入れや、連絡を取ること、広告、定期作業など、影の仕事は名前も載りません。けれどそんな仕事こそ大切なので、やる人がいなければスポトウは成り立ちません。目立たない仕事こそ、褒めてあげたいなって思うようになりました。もちろん、頑張っていることがスポトウじゃなくてもいいと思います。すごく大変なゼミに入っている人もいますし、掛け持ちのサークルが忙しい人も。バイトを頑張っている人もいると思います。11人をちゃんと見て、上から目線かもしれないけど分かってあげたい。分かった上で、じゃあもう少し取材や編集に来てほしいということを伝えよう。そういう気持ちが一番上の代になって芽生えました。取材部会が被っていない人とも、しっかりコミュニケーションを取って、悩みとかを聞いてあげられる存在になりたいなと。

 

そう思えたのは、昨年の9月の水泳のインカレ終わりに松本主将にインタビューした時の事。心がけていたことは?と尋ねると「毎日1人1人会話をすることです」と語ってくれました。水泳部って40人くらいいるので、結構大変だと思うんです。でも、確かに今年のチームはまとまりがあって、素敵なチームでした。コミュニケーションを取ることは、チームづくりには欠かせないと改めて思いました。だから、私も参考にさせてもらってます(笑)

 

1人1人をちゃんと見ることができたかは分からないのですが、私から見た後輩は、みんなめっちゃかわいいです!なので、来年も本当に期待できます!!!同期は9人いるのですが、個性の強い人が多くて、自分の持ち部会がみんな大好きでした。なので、新聞の面をどうするかとかの会議はいつもバチバチしていて(笑)でも、本音をぶつけ合うことができるのって、このメンバーしかいないです。すごくかっこいい学年だったと思います!

 

スポトウで学んだことや、人との出会いは、私にとってかけがえのない財産になりました。大学で何をやったのかと聞かれたら、私は間違いなく「スポトウ頑張りました!」って言えるし、自慢できる新聞やエピソードはたくさんあります。

 

私は東洋大学を選んで、スポトウを選んだことは間違いではないです。やっぱり、自分の選んだ道を成功させられる人、後悔しない人、今を全力で頑張れる人が大好きだから、自分もいつまでもそうでありたいです。

 

「人生、ディセンディングで行こう!」

 

ここが終わりではなくむしろ始まりです!今まで学んできたことを糧に、これからも生きていきたいと思います!

20歳の私に送られた、中学生の自分からの手紙には「自分が幸せとかどうでもいい、誰かを幸せにできるような人になろう!その人の笑顔を見て、幸せになろう!」ということが書いてありました。インカレ終わりにいつも連絡を取っていたマネージャーさんから、「菊池さんが水泳担当で幸せでした」とメッセージが来たことは忘れられません。幸せって素敵な言葉だなぁ。でも、幸せだったのは、わたしの方です!

上京させてくれた家族には本当に感謝です。私が体調を崩したり、なかなか記事が書けなかった時に助けてくれたり急かしてくれたり、支えてくれた後輩や同期にも感謝しています。取材に応じてくださる体育会のみなさんと監督の方々、いつもお世話になっている報知新聞社の皆様、応援してくださる甫水会の皆様。相談に乗ってくれた先輩方。スポトウでも、プライベートでも、私に関わってくれた方々、いつもありがとうございました。

これからもスポーツ東洋をよろしくお願いいたします。