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総勢120名の東洋大学硬式野球部。グラウンドで華やかにプレーする選手たちの陰には、部内外で選手をサポートしようと様々な仕事に取り組む者たちの姿があった。なぜ、その役割を担うようになったのか。それぞれの想いに迫る。
試合中、選手にも負けない大きな声をベンチから制服姿で張り上げるのは谷川主務(法4=神村学園)。今や部内部のことのみならず、スポトウを含めた外部メディアの対応や各種来客の対応など膨大な量の仕事をこなしている。そんな谷川主務だが「大学では野球から離れるつもりだった」と驚きの発言も飛び出した。今回はそんなチーフマネージャーに話を伺った。(取材日9月29日、聞き手=須之内海)
ーー初めに主務さんの仕事内容を教えてください
たくさんある(笑)来客の方への対応は自分だけじゃなくてマネージャーの仕事やけど、主務になってって仕事だとお金の管理かな。部のお金はいくらあっていくら使えるのかとか。あとはリーグ戦の時は何時にバスを呼んで何時に着くかみたいな、選手のタイムスケジュールを組んでる。
ーー会計のような仕事から秘書のような仕事まで幅広いですね
せやな。実際、自分たちで出してる会計報告を学校に提出するし…。もちろん不備があったらいけないわけで、その時期も大変。履修登録の時期だと誰が今期は授業どこに入ってるのかとか見て練習のスケジュールとか組むし。大変。
ーー膨大な仕事をこなしていく中で心がけていることはありますか
常に先を見越して行動することかな。母親も大学で女子マネージャーとしてやってたんやけど、その影響もあってか小さいころから「先見越して行動せなあかんで」って言われてた。まぁ、それが身についてって感じかな。
ーー先を見越してというのを実際の仕事内容に当てはめて伺っていいですか
今年は関西遠征があったやんか。あれ自体は2月くらいに決まっとって。そこから旅行会社の人と話したり、いつまでに何をせなって考えて行動し始めたのが春先。いつなにをやれるのかを考えて個々の業務の間に入れて、最終調整まで持って行ったって感じかな。
ーーそうして迎えた初めての地元である関西への遠征はいかがでしたか
大変だった(笑)行くまでも大変だったけど行ってからも。土地勘がない場所がほとんどだったし。幸い最終日の大阪ガスのグラウンドのあたりは地元やからよかったけど。土地勘ないところでイレギュラーが出ると対処に追われる。起こらないのがベストだけど起こるものだから…。
ーー話は変わりますが、マネージャー入学や主務になるというのは高校時代から希望はあったんですか
まったくなかった。なんなら高校時代は高校で野球を離れて大学はいわゆる普通の生活をしようと思ってた。バイトしたり、友達と履修組んだりみたいな生活を考えてたんだけどね(笑)
ーーでは、なぜこの道に
父さんの勧め。うちの野球部のOBで井上コーチの一個上の代かな。もう当時は高橋前監督だったからその縁みたいな。「学べることがあるから」って送り出された。
ーー実際は途中で杉本監督に代わりましたがそれぞれの印象は
杉本監督は発想力がすごいというか色々なことを思いつく。トレーニングマシンの話はその代表例。あとは仕事への要求水準は高いかな。少し前まで会社の人だしだから先取りで社会人を体験してるみたいな感覚。高橋前監督は2年間だけだからわからないけど、こだわりは強かった印象はある。
ーーお父さんの導いた理由である高橋監督のもとでも主務をやりたかったですか
杉本監督でもたくさんのことを学ばせてもらっていい経験をさせてもらってるけど、気にはなる。父さんが何を伝えたくて東洋に入れたのかとかは気になるし。もしできるなら両方体験したかったかな(笑)
ーー入学の理由はお父さんとのことでしたが、マネージャーになったきっかけは
高校2年生の時。まぁ、ほぼ3年生くらいか。当時の神村学園ったマネージャーがいたことなかったらしくて、俺らの代も例外じゃなくって。キャプテンとかがグラウンドのことは見れるけど寮のことは誰も管理してない。これってチームとしてどうなのかなって疑問に思い始めて。もともとベンチ入りしたり、試合に出るわけじゃなかったからそういう風な道に転向しようろ思ったのがきっかけ。
ーー学校初ということだと大変なことも多かったんじゃないですか
多かったね。練習メニューを組んだりそういうこともやったし。そう考えると学生コーチとやってることは似てる。自分的には選手と指導者の橋渡しをしたいなって思ってた。選手が思っていることをかいつまんで、監督とかに伝えれるところを伝える。でも、その中で選手の思っていることの核になる部分は外さないように。逆もあって、指導者の言葉をそのまま伝えるときついところもあるから、人によっては言い方を変えたりしつつやってた。
ーーやはり高校野球への思い入れは強いですか
自分らの代は最後のワンプレーまで覚えてる。鹿児島実業に負けて、最初に組み合わせを確認した時点で、山場って話してたのはそこだったんで負けて悔いはなかった。その時はベンチで記録員として戦っていて。セカンドゴロ打って滑り込んで…。春の甲子園はプラカードを持って終わったからベンチに入りたかった。
ーー高校・大学とチームの屋台骨的な存在だった訳ですが違いは感じますか
全然違う。高校はなんだかんだ、指導者が出てきてくれる。最初の枠をくれるし困ったら出てきてくれる。でも、大学はそれがない。もちろん最初の方向性とかはくれるけど、全部が全部それではいかない。イレギュラーもさっき言ったようにあるし。高校の時は最後は頼るところがあったけど大学はそうじゃない。自立というか自分たちで考えることは求められるし、それは学年とかレベルが上がってるから当たり前だけど違いというとそこが一番大きい。
ーー最後に谷川さんにとっての主務・マネージャー業とはなんでしょうか
難しいな(笑)考えたことないな…。チームにとってなければならないことかな。誰かがやらなければチームとして回らなくなる。金銭の管理もそうだし、選手のタイムスケジュールの管理もそう。自分たちマネージャーは確かに他の人たちから見たら裏方になるけど、この役割がいなかったらチームは潰れると思う。そういう意味ではチームのトップだと思ってる。
◇プロフィール◇
名前/谷川拓己(たにがわ・たくみ)
生年月日/1997・10・15
好きな食べ物屋/山本のハンバーグ、池袋Parcoにあるモツ鍋屋
嫌いな食べ物(理由)/きのこ(見た目、味、触感のすべてが無理)
死ぬ前に食べたい物(理由)/ベビーフェイスのオムライス(デミグラスの物しか食べれず、昔から食べていて、永遠に食べれるから。お店は関西などに多いそうです。)
長期オフがあったら行きたいところ/海外。シンガポールの屋上にプールがある所で写真を撮ってインスタに上げたい
趣味/なし。常に探してる
無人島に持っていくなら/過去の回答で甲斐野さんがドンキホーテを持って行ってるからそこで浮き輪を買って脱出する
これからが楽しみな後輩・理由/松本(営1=龍谷大平安)・今の成績もすごいが今後どうなっていくのか、あの小柄さでどこまでやれるのか見てみたいから
第1弾:スポトウが見る硬式野球部裏方図鑑①「良くも悪くもできる」吉澤光祐学生コーチ
※今後も不定期で更新させていただきます